日々の記録

育児日記

発達外来に行ってきた

発達外来に行ってきた。なんだかんだ一年ぶりになってしまった。前回は放課後等デイサービスを利用するために診断書を書いてもらったとき。

 

児童精神科医の先生は究極の子供ファーストな人で、本田秀夫先生ということが似ていると感じる。子供が幼児のときはいろいろ辛すぎて先生の話していることの意味が理解できていなかったが、要するに、親が、幼児かくあるべきという思考行動パターンを脇において、あくまで子供本人にあわせた環境調整をしなさい、ということを先生は繰り返しお話されていたのだと思う。

 

たとえば児童館のリトミックが辛いなら行かなくていい。遊び場で癇癪を起こすなら遊び場は時期じゃないということなので避ける。(本田先生の名言、宿題は百害あって一利なし、と発想が似ていないだろうか?)ただし親のメンタルとかは度外視と感じることも多かったのだが。そういう癇癪を起こす状況を避けていたら家のなかにしかいられないし、外にも出たいし、家のなかにいたら母が鬱で死にそうなんですが。みたいな。でも先生の言うことは結局おおむね正しかったと思う。

 

その先生に会いに行ったら、さすが、一年ぶりでも私のことを覚えてくださっていた。

WISC-IVの検査を渡して、子供の読み書き障害について相談すると、やはり検査を受けたほうがいいというアドバイスをいただいた。ワーキングメモリの低さが書字の遅さの一因なのかと思って質問したところ、ウィスクのワーキングメモリは聴覚的な部分の数値で、視覚的なワーキングメモリは認知と関係しているらしい。息子は認知が高めなので、見て覚えられないというよりは視機能を検査したほうが良いかも。ということであった。プラスしてディスレクシア外来。予約は取りづらいがやはりこちらをトライしていくしかないようだ。

 

そして、息子のノートのコピーを先生にお見せしたところ、「本人は計算を理解していてできるのに、わざわざ問題を書かせるっていうのもナンセンスだよね」「この字を見てると、本人が一生懸命頑張って勉強しているのが伝わってきますよね」とおっしゃってくれ、そんな共感的な言葉をかけてもらえると思っていなかった私は、不意をつかれ、思わずうるっときてしまった。

 

子供の読み書き障害について、当事者意識をもって必死で支援できうるのはやはり親しかいないのだが、私は夫にすら、我が子の必死の頑張りの前に立ちはだかる読み書き困難という壁の高さ、将来への不安を理解してもらえていないと感じる。辛さや悲しみを理解してもらえるっていうのがこれほどの癒しや慰めになるとは、私はここ最近崖っぷちで子供を守っているような孤独な状況で、それがすごく不安で負担だったんだなと気づかされた思い。子供が赤ちゃんのころからそうだけど、本当にたくさんの人に助けられている子育てだと思う。