日々の記録

育児日記

送迎

専業主婦である私の大事な仕事である、送迎。

 

月曜日は公文と放課後等デイサービス。火曜日は体操。

水曜日はお休みで、木曜日は公文。

金曜日は隔週でプログラミングか工作。

子供は1年生なのでまだ1人歩きさせるには危ういし、そもそも家の近所の道路が狭すぎて、大人でも危険な状況なのである。

 

なので、低学年のうちは送迎が仕事と思ってせっせと送迎している。

 

今日は雑事をたくさん片付けた。

モヤモヤいくつか。

自転車のメンテナンス。アサヒ自転車は、会費払えば3年間メンテ無料とかいって推してくるし、いろんなオプション売ろうとしてくるのだが、いざメンテに行くと金にならない客だからか対応悪い店員がいて嫌な感じ。でも会費払ってるし行くけど。次の買い替えはアサヒじゃないとこにしようと思ってる。

 

工作の習い事。時間変更や日時変更を伝えても伝わってないし、全体的に運営が適当で嫌気がさしてきたのだが、子供は楽しんでる。

 

こんな感じで、ヒマなのでつまらんことにひっかかってるな私。こうしてブログで細かく愚痴って、スルー力鍛えようと思う。

 

 

期待せず

近所でなにかテイクアウトや物販が出るようなイベントをしているようなとき、理想は家族3人で散歩がてら行ことだったが、こどもはさして行きたがらないし、夫も行く気はあるようだがテイクアウトとかはいらない、という感じ。

ではこどもは留守番させて夫と2人で行かない?というと、夫がこどもを

留守番させるのまだ心配だから、一人で行っておいでと言う。

 

家族連れて賑わうイベントに一人で行くのは寂しいし、うちはそんな展開ばっかで嫌気がほとほとさしているので、そんなら1人で楽しめるとこに1日行ってくるから留守番お願いね。という。

 

すると置いていかれそうなことに焦った子供が行ってあげてもいいよとかいいだす。

 

夫はテイクアウトに乗り気でないが、じゃーあなたはお茶漬けでも食べて、私テイクアウト買って食べるから。という。

 

家族に合わせてやりたいこと我慢するよにうんざりした。

 

私もうあなたたちのこと待たないから、私1人で出かけるからね。せっかくの休日がもったいないし、行きたいところ行くから。こどもももう留守番できるでしょ。と宣言。

 

家族に期待するの諦めてひとりで楽しめるようななろうと思う。

迷い犬

迷い犬のポスターがそこかしこに貼ってあって、こともが見つけるたび枚数を数えている。調べてみるともう1ヶ月以上見つかっていないようだ。ズッコケ探偵団とかなら(古い)、犬探しのミッションが始まるのだろうが、せいぜい自転車で近所を走る時に目を光らせるぐらいしかできない子供は気にしているし、見つかるとよいのだが。

 

子供は公文と放課後等デイサービスに通い始めた。

習い事過多で送迎が大変。子供も疲れないか心配である。私はストレスで食べ過ぎてしまうのでヨガのクラスに通うことにした、なかなかハードで爽快だ。

 

正直に言わない子供

こどもが失敗を正直に言わない。隠す。たとえば、図書館の本を破ってしまった。障子を破ってしまった...など。

 

そういうことがあったとき、黙っていて言わない。破ってしまったものを隠す。

 

怒られたくなかったということらしい。私が余程普段怒っているからだろうかとへこむ。多分当たっている。

 

破ってしまったのはわざとではないんだから怒りはしない、それよりそれを黙っていたり隠したりするのが良くないことだとこどもには伝える。 

 

そのたびこどもは泣いてごめんなさいと言うのだが、同じことを繰り返す。怒られたショックで内容が伝わっていない、またはどうすればよいかわかっていても「怒られるかも」と恐れて隠すのかも...

 

正直に謝ればおかあさんはわかってくれると思える心理的安全性がこどもにないのだろうな。それがショックである。

 

自分が子供の頃は、怒られることも恐怖だったが、黙っていることの罪悪感が勝ってなんだかんだ親には伝えていたような記憶があるが。怒られたり怒られなかったり、色々だったが、正直さが美徳であるという強烈な規範意識みたいなものがあったような気がするけど、と、

 

子供自身の規範意識のせいにしたくなる心理なんかもあったりして辛い。

 

こどもに言い聞かせていると、自分の頭をボカボカ叩くので、この自傷行為も嫌で、もうひとりにして、とこどもを部屋から追い出してしまった。

子供と散歩する幸せ

これまで、習い事のない日は、学校から帰ると家から出ずに宿題したりゲームしたりして終わっていたのが、くもんをはじめたことにより外出機会が二日増えた。

 

子供とくもんに歩いて行ったり、帰りに少し公園を歩するのが気持ちいい。

公園近くのマンションにして良かった。

 

今日は、朝からフィットボクシングをして、友達とヨガのクラスに出てランチし、子供帰宅後は体操の習い事に行って、公園を散歩して帰った。かなりの活動量だったんじゃないだろうか。

 

ヨガのクラスは初めて出たけれど、体が硬いなりに動きにはついていけた。普段、リングフィットやフィットボクシングでコツコツとトレーニングしているのは決して無駄ではないなと感じてうれしかった出来事。

 

体操の帰りの散歩は30分くらいかかるのだが、自然がいっぱいの公園のなかを子供といろいろ話せる機会になってとても楽しい時間。

 

学校のことなど、話が断片的過ぎて詳しいことは何もわからないのだけれど、どんぐりや松ぼっくりを拾って今年もクリスマスツリーを作ろうだとか、お母さんに木の実をプレゼントするだとか、蜘蛛の観察イベントのポスターを見て興味を持ったりだとか、

 

いろいろ出不精な親子には刺激になる。

 

明日は水曜日。習い事がない日だから、少しのんびりできるだろうか…。

 

 

習い事検討

くもんの体験に行ってよさそうなので通おうかということになったが、行くまでにひとつ危険な交差点を渡らなければならないということで、近所の教室二つへの通学路を調べるべく散歩に。

 

道が危険なほうが最近できた教室で生徒数が少なく、手厚く見てもらえそうな感じはする…。でもそもそも、週二回の通塾、費用(一教科7700円)、送迎、毎日のプリントなどに耐えられるものなのだろうか?

 

でも、Z会をやめた今、なにかしら学習系の習い事を維持しておきたい。Z会は良問なんだけどいろいろと意識高い圧が強くてプレッシャーになってやめてしまった。スマイルゼミは資格優位な子にはあっているのだが、紙に書字する訓練をもっとやらないといけない気がしているので、スマイルゼミオンリーにするのはちょっとためられわれる。

 

そのほかに、親子の心のよりどころとして、放課後等デイサービスも週に1回くらい通いたいと思っていて、そうすると、くもん2日、放課後デイ1日、体操1日、プログラミング1日と、平日がものすごく忙しいことになってしまう…大丈夫なのかわからないけれど、夫とも相談しとりあえずやってみようということに。

 

ちなみに子供はくもんにそこそこ乗り気である。今のところはだけど。

 

午後からは子供の新型コロナのワクチン一回目。今年の1月に罹患してからいろいろあって億劫で打っていなかったのだが、重症化率や後遺症の確率を少しでも下げられるのならという思い。注射は0.5秒かからず終わったし、その後も元気なようすで一安心している。

8/26(木)

余っていたパソコンをプログラミング教室にもっていったら、バッテリーが膨張していて危険であると先生に指摘される。爆発しなくて助かった。情弱夫婦で困る。私も夫もパソコンの選び方もわからないので、夫の兄に教えてもらって無事に新しいパソコンを購入することができた。

少し早い二学期がはじまり、今日は二日目。子供、激烈な行き渋りを見せるかと思ったが、そうでもなかった。宿題や工作もよく頑張ったし、朝顔も自慢にできるくらいフサフサに茂っているので、それを見せたい気持ちがあったのかもしれない。

二日目の今日、子供は朝、「学校苦手なんだよねー」とぼやいていたが、「そうだよねえ」といって、流すにとどめた。過剰に反応しないようにと意識して。えらい、私。と心の中で褒めながら。

学校のプリントに、道徳、音楽、図工、書写の教科書を持ってこい、と書いてあるが、書写の教科書がない!まさかなくした?と思い、本日午前中は書類整理に費やした。すると、帰ってきた子供から、書写の教科書は先生が預かっているという話…。ならプリントに書くなやー、こういうたいしたことないがひっかかる不備が多い、学校のプリントである。

まあ家がきれいになったから仕方がないとあきらめる。しかし、ママ友がいないからこういうとき困るとくよくよするだとか、自治体のホームページの採択教科書をチェックして、最悪ネットで買うか、などと思いめぐらせた時間は無駄だったな。

子供が帰宅後、くもんのプリントと宿題を1時間ほどかけて行う。集中してやれば10分で終わる内容なのに、この、ゆるい拘束がしんどい。

本日は工作教室だった。この工作、意味があるのか?と最近もやもやしている習い事である。今日も2時間の枠があったのに、木片にちゃちゃっと絵具でラクガキちっくな色をぬっただけ。先生も美大を出てはいるらしいが、子供ひとりひとりをきちんと見てくれている感じはしない…。ただ、子供は楽しそう。同年代の子も来てるのだが、その子らは、1、2学年上っぽいが、電動のこぎりなど使っててきちんと工作していてまぶしい。彼らに刺激を受けてくれないものか。

こういう効果が目に見えにくい習い事では忍耐が大切なのだろうかと思いつつ、子供にねちねち文句を言ってしまう。工作教室なんだから工作もしてよ!と…。友達もいないことだし、楽しめる場があればよいかと思おう!と誓った5分後に。自分の器の小ささがいやになる。

しかしこの持って帰ってきた木片、どうするよ?粗大ごみ?いらないので持って帰りなくないというのは、子供の手前言いにくいのだが。うちの田舎なら焚火にできるのだが、この都会でそんなことできるはずもなく。

ほんとうに端材の木片なので、やすりがけもしてなくて、毛羽立っていて手にとげがささりそう。絶対にこの木片でだけではケガしたくない!!と思い、疲れていたが、すごく慎重に運んだ。

帰りに児童館の前を通ったら、2年生くらいの男子たちがドッヂボールしていてまぶしかった。近所に友達がいれば…他人の芝生は青く見えるんだろうな。うちは引っ越してきたから近所に友達はゼロ!ただ、幼稚園のときだって、足しげく公園に通ったが、結局ワイワイドッヂボールするようなタイプの子たちとは遊ばなかったもの。たとえこの地に子供が赤ちゃんの頃から住んでいたって、そんなに理想的な状況だったとは限らないよな、と割り切ることにする。